この度「日本酒で乾杯推進会議」にコラムを書かせていただくことは、私にとって驚くほどうれしい名誉なことに思える。
数年前からしきりに思い浮かべる私の子供時代の夕食風景には、幼い五、六才の私が、何と父のお燗番をしている。当時のわが家は、さまざまな様子を思い浮かべてみると、私の脳裏に次つぎと浮かんでくるのは、寒い季節になると父が雉酒を楽しんでいた日々だ。
最近になってあらためて知るところとなった事実によると、宮中では昔からの伝統として、お正月にほかならず雉酒を召し上るのがしきたりだという。
それは何と平安時代からの伝統であり、「歯固(はがため)の儀式」とよばれている大切なしきたりだという。そして雉酒にはひとつ、欠かせぬものがあり、それは肴として菱葩餅(ひしはなびらもち)をいただくことだ。
江戸時代になると晴れの日に雉酒をいただくことが、めでたい風習として庶民にも広く楽しまれるようになった。ところが明治に入ると西洋化が押し寄せて、雉酒の存在は希薄になり、人びとの記憶の片隅に追い遣られてしまったという。唯一、文豪の幸田露伴が数回ほど仲間と楽しんだことが、わずかに知られているに過ぎない。
しかし現代の天皇家におけるお正月の儀式『晴れの膳』には、雉酒が御祝酒として使われ、裏千家の正月の儀式『晴れの膳』にも、「御祝酒(ごしゅくしゅ)」として使われているという。その時、初釜に出てくるお菓子は「はなびら餅」であり、この二つは因縁浅からぬ関係であり、何とも興味深いとり合わせだという。
私はかつて五、六才の子供の頃、父にお燗番をさせられていたが、雉の笹身をほどよく焼いてお燗をした蓋つきの徳利に入れる、それが雉酒であったことを、二、三十年前からしきりに思い出すようになった。
さらに、お正月には宮中でかならず召し上がる雉酒の「サカナ」が実は「はなびら餅」と知って、どこか奇妙に思うが、少なからず興味は深く、とにかく現代の東京でまず人気商品になって欲しい…と期待している。 |