〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
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100人委員会コラム
本間千枝子氏本間千枝子(ほんま ちえこ)氏
文筆家。1933年東京生まれ。随筆、翻訳、食文化研究などが主な仕事。早稲田大学佛文科、アメリカ、ニューヨーク市クィース・カレッジに学ぶ。著書に『アメリカの食卓』(サントリー学芸賞受賞)、『父のいる食卓』、『バッカスが呼んでいる』(ワイン浪漫紀行)、『グラスに映るアメリカ』、『嫁と姑の食卓』、『毒を盛るか愛を盛るか』(女が変える食のかたち)、『女の酒の物語』などの作品のほか、共訳書に『未完の女』=リリアン・ヘルマン自伝。さらに近年の作品として『愛しきアメリカのバラッド』、『セピア色の昭和』がある。

雉酒のおいしさをぜひ!!
 

 この度「日本酒で乾杯推進会議」にコラムを書かせていただくことは、私にとって驚くほどうれしい名誉なことに思える。

 数年前からしきりに思い浮かべる私の子供時代の夕食風景には、幼い五、六才の私が、何と父のお燗番をしている。当時のわが家は、さまざまな様子を思い浮かべてみると、私の脳裏に次つぎと浮かんでくるのは、寒い季節になると父が雉酒を楽しんでいた日々だ。

 最近になってあらためて知るところとなった事実によると、宮中では昔からの伝統として、お正月にほかならず雉酒を召し上るのがしきたりだという。

 それは何と平安時代からの伝統であり、「歯固(はがため)の儀式」とよばれている大切なしきたりだという。そして雉酒にはひとつ、欠かせぬものがあり、それは肴として菱葩餅(ひしはなびらもち)をいただくことだ。

 江戸時代になると晴れの日に雉酒をいただくことが、めでたい風習として庶民にも広く楽しまれるようになった。ところが明治に入ると西洋化が押し寄せて、雉酒の存在は希薄になり、人びとの記憶の片隅に追い遣られてしまったという。唯一、文豪の幸田露伴が数回ほど仲間と楽しんだことが、わずかに知られているに過ぎない。

 しかし現代の天皇家におけるお正月の儀式『晴れの膳』には、雉酒が御祝酒として使われ、裏千家の正月の儀式『晴れの膳』にも、「御祝酒(ごしゅくしゅ)」として使われているという。その時、初釜に出てくるお菓子は「はなびら餅」であり、この二つは因縁浅からぬ関係であり、何とも興味深いとり合わせだという。

 私はかつて五、六才の子供の頃、父にお燗番をさせられていたが、雉の笹身をほどよく焼いてお燗をした蓋つきの徳利に入れる、それが雉酒であったことを、二、三十年前からしきりに思い出すようになった。

 さらに、お正月には宮中でかならず召し上がる雉酒の「サカナ」が実は「はなびら餅」と知って、どこか奇妙に思うが、少なからず興味は深く、とにかく現代の東京でまず人気商品になって欲しい…と期待している。

 
 
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