〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
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100人委員会コラム
市田ひろみ氏市田ひろみ(いちだ ひろみ)氏
服飾評論家。京都府立大短大国文科卒。日本和装師会会長。京都市観光協会副会長。世界の102都市できものショーや文化交流を行う。同時に世界の民族衣装のコレクターとしても膨大なコレクションを持ち、京都、横浜、福岡などで展示会を催す。NHK「おしゃれ工房」やサントリーのお茶のCM、ローソンのおにぎり、大野屋など、テレビ出演も多数。

酒の追憶
 

 「土佐鶴」の一升瓶をありあわせの二本の五合瓶に入れかえるのもいつの間にか私の役割となった。
五合瓶二本買えば良いのにと思いつつあぶなっかしい手つきの父から一升瓶をひきとって五合瓶に入れかえるのだ。どうして父は一升瓶が良かったのだろうか。特別な瓶は別として、日常的に使う酒瓶は、世界でも珍しい大きさだ。

   施設にお世話になって、父が一番淋しかったのは、お酒が飲めないことだったろう。ずっと寝たきりの日々を過していた父が酒が飲みたいと言った。私たちは吸い飲みにジュースを入れて「先生には内緒よ」と言いながら口にはこんだ。
 「なんや、この酒、ちょっと甘いなあ・・・」と言いながら、おだやかな顔で少しづつ飲んだ。
私が親をだました最後だった。
あれから三年がたつが、土佐鶴の瓶を見るのはつらい。父の家のこたつで盃をかわしながら語りあった日々は遠い。

 私の仕事は講演など出張が多い。米どころへの出張は、ひそかなたのしみだ。自宅では到来もののお酒をちびちびと頂いている。ほとんど睡眠導入剤だ。

 昔、洋酒の好きな人は、海外旅行というと重いのに免税の三本をしっかり持って帰ったがこの頃はそんな人も少なくなった。 「入国の時だけお酒持ってくれませんか?」とたのまれたものだ。 「重いからイヤです」というのが、たのしい意地悪だったけど、でも、その国その町のお酒は旅の思い出とつながる。
 サイドボードの瓶から追憶がひろがれば、それはそれで自分への大きなみやげだ。

 
 
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