〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
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100人委員会コラム
石毛直道氏石毛直道(いしげ なおみち)氏
民族学者。1937年生まれ。国立民族学博物館名誉教授。主著に、『食事の文明論』(中公新書)、『論集 酒と飲酒の文化』(編著、平凡社)、『サムライ ニッポンーー文と武の東洋史』(中央公論新社)、『麺の文化史』(講談社学術文庫)、『食卓文明論ーーチャブ台はどこへ消えた?』(中公叢書)など多数。

もう一つの乾杯
 

 皆が杯をあげ、「乾杯!」と唱和することによって、参列者の連帯感が形成される。同時に酒を飲むことによって、人びとのこころが一つになるのだ。  西洋の風習に起源する現代日本の乾杯の型式は、同時に酒を飲みほすという、時間を共有することによって、人びとのきずなを強化する。

 ほとんど忘れかけられている日本の伝統的な乾杯は、時間の共有ではなく、器の共有という原理にもとづいた行為である。おなじ器の酒を飲むことによって、人びとのこころが一つになることを期待するのだ。
 過去の儀式ばった宴席では、まず上座の主客が口にした酒杯が、下座に流れていく。茶の湯でも、一つの茶碗で飲みまわしをする。そして、おなじ器で飲んだ者同士は、こころを一つにした、「一味同心」の仲になる

 伝統的日本文化には、「けがれ」の観念がつよかった。「けがれ」は口をつうじても感染する。口に触れた器物には、使用者の人格が宿り、つぎの使用者にそれが伝染するのである。そこで、箸や碗は使用者がきまっていた。おなじ器から箸で取りわけるときには、特定の個人に所属しない中立の箸である取り箸を使用するのであった。  そのような伝統にもかかわらず、酒宴や茶の湯で、あえて、ひとつの器を共同使用することによって、参加者の人格を一つにまとめあげるのだ。

 「不衛生である」、「お流れ頂戴」というのは形式的・封建的であるといったことで、宴席から杯洗が姿を消した。おなじ酒杯からまわし飲みをするのは、婚礼の杯事や屠蘇を飲むときくらになった現在である。
 しかし、親密な間柄の人びとがこころを一つにするときには、酒杯をともにする、もう一つの乾杯がなされてもよさそうだ。

 
 
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