日本酒と加藤登紀子のご縁は、1971年、「酒は大関」をコマーシャルで歌わせていただいた年、大関さんに樽酒のご提供をいただき、日劇ミュージックホールでお酒付きの「ほろ酔いコンサート」を始めたことから、並々ならぬものになった、と思っています。以来、名古屋、京都、広島、仙台、福岡、と言う風に、全国のお酒屋さんとのご縁で、毎年「ほろ酔いコンサート」を年末に開いてきました。歌手としての50年を迎えられたのも、この「ほろ酔いコンサート」が毎年欠かさずに続いたからだと、思っております。
去年秋田の潟上という街でのライブがあった時、その会場が小玉醸造さんの蔵だった事から、1968年、中村八大さんの曲で「酒は 酒は 天下の太平山」という元気のいいCMソングを歌った事があると知り、改めて私とお酒のご縁の深さに驚きました。
「日本酒無くして登紀子は語れぬ」といってもいいくらいです。
今年は年明け早々から海外の仕事が続きましたが、ニューヨークのイベントでは、福岡の喜多屋さんが試飲会のデモンストレーションを開かれました。
アメリカでは今、若い人にまで日本酒、和食のブームが広がっていて、街を歩いていてもいろんな銘柄の日本酒を揃えたカフェがあったり、日本酒ベースのカクテルがあったり、大変なことになっているようですね。
先日ある新年会で、あるお酒メーカーがトライしたブランデー風の古酒三年のお酒や、白ワインとのミックス酒など、ほとんどワイン感覚で飲むお酒を飲ませていただきました。
海外や外国人に愛されることで、日本酒が様変わりしていくのは、すごく楽しいことだと思います。日本人の生活習慣も大きく変わったわけなので、若い人たちと、お酒の出会いの機会は意外なところにあるのではないか、と思います。
私が「ほろ酔いコンサート」でよく歌っている「酒が飲みたい」という歌は、戦前日本に駐在していたアメリカ人の新聞記者が片言の日本語でレコーディングして大ヒットした歌なんです。
「酒飲みは 酒飲めよ 酒があれば オイ 怠け者
水はとても美味しいが 酒があれば 僕たのしい」
この愉快な歌をヒットさせてしまう戦前の日本もなかなかですよね。
なんといっても日本酒は「和」のお酒です。人々を楽しく隔てのない「輪」に入れていく力がある。もっともっと日本酒が海外や世代を超えて広がり、「和」と「輪」の世界を広げてくれるのを、楽しみにしています。
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