〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
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100人委員会コラム
内館牧子氏内館牧子(うちだてまきこ)氏
脚本家。1948年、秋田市生まれ。武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業入社。13年半のOL生活を経て、1988年に脚本家デビュー。2006年東北大学大学院文学研究科修了。2011年4月、東日本大震災復興構想会議委員に就任。主な作品に、NHK連続テレビ小説「ひらり」「私の青空」、大河ドラマ「毛利元就」、など作品多数。

最強最高の老後
 

 私は学校が大好きである。何かというと、すぐ学校に行く。独学とか、あるいは本やネットで学ぶとか、そういうことはほとんどしない。知りたいことや学びたいことがあれば、すぐ学校に行く。

 小さい時から学校がイヤだと思ったことは一度もなく、教師に反感を覚えたこともなく、その意味ではまったく反体制ではなく、つまらない子供だった。大人になってからも学校好きは変わらず、私は脚本家養成学校に行って書き方を習い、脚本家になったのである。

 これにはさすがに、友人知人たちもあきれ、
 「小説とか脚本とかって、学校で教わってできるものなの?」
 と、さんざん聞かれた。だが、私は本当に学校で習ったやり方だけで、書き続けているのである。

 そして、日本酒学校にも行った。老後はお酒を飲みながら、大相撲を楽しむことにしようと決めたのである。全国津々浦々の日本酒を、初場所は燗で、夏場所はキリキリに冷やして、九州場所はヒレ酒で…などと考えているうちに、ここはそうだ、「唎き酒師」の資格を取ろうと決めたのである。「元横綱審議委員で、唎き酒師の婆サン」という老後、もう最強最高ではないか!

 かくして、私はせっせと半年間、日本酒学校に通った。かなり、唎く力もつけた。能書きも垂れられるようになり、各地の醸造元を自主的に回り、老後の設計は着々と進んでいた。

 が、結局は資格試験を受けぬまま、今に至っている。日本酒の基礎知識と楽しみ方は、学校で十分に教えてもらったし、受験勉強に時間を割くより、盃をかわすことに時間を割こう。そう思ったのである。

 しかし今、おいしい肴作りの学校に行こうかしら…と、学校好きの血がまた騒ぎ始めている。

 
 
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