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イラスト:さとう有作 |
少し前のことであるが、沖縄でサミットが開かれたときのパーティーで。シャンパンでの乾杯のあと、某国の大統領がおっしゃったそうな。「この国には、日本酒があるはずなのに。また、この沖縄には泡盛があるはずなのに」。
関係者は、あわてたに相違ない。もっとも、それで、どのような対応をしたかまでは、しかと聞いていないが…。このニュースは、一部にしか伝わらなかった。が、もっと大々的にとりあげるべきではなかったか。
思えば、戦後の教育を受けた私どもは、欧米志向のあまり自虐的なまでに伝統的な日本を軽視してきたきらいがある。その結果、といってよいだろう。日本酒という優れた「お酒」があるのに、外来酒で乾杯することを漫然と続けながら習慣化させたのである。これでよかったのか、と反省もしてみようではないか。
現在(いま)、日本文化の再生が時折の話題になっている。ごく最近、ヨーロッパで六年間暮らした女性が帰国して、しみじみと語ったものだ。
「しばらく日本に滞在して、神さま仏さまの世界や詩歌や邦楽の古典を勉強したい。あぁ、このお酒、何ておいしいんでしょう」。
一方で、たとえば、国語教育よりも、なお英語教育を大事とする人たちも多い。両方が大事なはずだが、なぜかこのごろの日本人は、白黒をつけたがる。
せめて、乾杯は日本酒でいたしましょうよ。これも、他の酒を拒否するものではない。これは、日本人としての「心」の問題なのである。 |