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イラスト:さとう有作 |
「なぜ、日本人は産湯(うぶゆ)の習慣をなくしたのでしょうか」。友人のジョン・ブリーンさんに尋ねられて、返答に困った。ブリーンさんは、ロンドン大学で宗教学を教えており、特に神道史に詳しい。
たとえば、イギリスではワインを、ギリシャではオリーブ油を入れた湯を新生児の足につけるそうだ。現在では、教会での洗礼行事と複合もしているが、家でとり行なう事例もまだ残っている、という。
親が子供の無事な成長を願う気持ちは、どの時代、どの民族にも共通する。それを表わす最初の行事が産湯である。子供にとっても、人生で一番始めの行事。それが、産院できれいに洗ってもらったからといって、簡単にないがしろにされてよいものかどうか。
かつて、産湯は家の行事として伝えられていた。産湯には、少量の塩なり酒なりを入れる。西日本では、榊(さかき)一葉を浮かべるところもあった。まじないと言われればそれまでだが、そこに投じる「こころ」が尊いのだ。
一年の始めの行事もないがしろにされて久しい。若水(わかみず)を汲んで福茶をたてる。それから、屠蘇(とそ:酒)を酌み交わす。雑煮を食べるのも、社寺に詣でるのも、本来はそれからなのだ。福茶で心身を清め、盃事で家族の健康と結束を約するのである。
せめて、一生の始まりは、一年の始まりは大事にしたい。「終わりよければ、すべてよし」とは言うものの、「始めがあるからこその有終」なのである。
“一日の始めにきちんと朝食を”と、「食育」を唱えるのと同様に、「しきたり教育」も必要である。日本を、日本文化を、少し巻き戻さなくてはならないのではあるまいか。
「日本酒で乾杯」の推進運動も、そうした日本文化の根枯れ現象を憂慮する仲間が集まって立ち上げられた。私どもは、まだその根は枯れきっておらず、現在(いま)なら再生も可能だと信じている。
宴の始まりは、日本酒で乾杯! 日本の文化に誇りをもって語れるようになりましょうよ、ご同輩。多くの仲間を募っています。
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