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イラスト:さとう有作 |
「乾杯」をもって酒宴が始まる。それが伝統的な作法と思いこんでいる人も多かろう。しかし、意外にもその歴史は浅いのである。
いつ誰が始めたのかを特定するのは難しいが、明治時代後期に軍隊の中で流行(はや)りだしたことは、ほぼ明らかである。特に、イギリス海軍の影響が大きかった。
例えば、明治38年(1905)の日露戦争の『凱旋図会』の類には日英同盟による供応の場面がよく描かれている。それに関係して、「一同唱和して三鞭(シャンペン)を傾ケ」というような記事もある。ただ、この時の唱和は、乾杯ではない。「万歳」であった、とみるのが妥当である。「英艦隊将校歓迎バンザイクワイの光景」と見出しを付けた絵図もあるからだ。
それでは、万歳が、いつ乾杯にかわったのか。それを証する記録が乏しい。たぶん、ビールとグラスの普及があってのことだったのだろう。これも、明治30年代以降のこと。そして、正式な酒宴でなく、略式の酒宴でそうなったのではないか。万歳が国家や天皇に対しての発声であったとすれば、乾杯は民間の相互に対しての発声であった、ということになる。
そこで、なぜ日本酒を用いる乾杯には発展しなかったのか。
その兆しもあった。例えば、『上野に於ける東郷大将歓迎会及小笠流古式凱旋式の図』を見ると、日本酒での儀礼が描かれている。「恭(うやうや)しく杯を挙げて神酒を受けて、茲(ここ)に式を終り」とあるのだ。
もとより日本酒は、「カミに供え、カミと共飲する」ことに始まる。乾杯の発声の前に「皆様の御健祥と御多幸を祈念して」というのも、そこにカミの介在を黙認してのことに相違ない。
ならば、日本酒で乾杯をすべきなのだ。いうなれば、文明開化への過剰反応でシャンパンやビールに走ってしまった。歴史的には、流行り病のようなもの。ならばこそ、今いちど“日本酒で乾杯”の文化構築を図るべきではあるまいか。
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