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第8回 日本酒がとりもつ契約 盃事と媒酌人のチカラ
 
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イラスト:さとう有作

  今日、「三三九度」といえば婚礼に伝わる夫婦(みょうと)盃のこと、と思う人が多かろう。だが、かつては、ほかに親子盃や兄弟盃(姉妹盃)などが存在した。それによって擬制的な親子関係、兄弟(姉妹)関係を結んだのだ。擬制的な親子関係では、扶養と労働の交換という義務が生じたが、義兄弟の場合は精神的な相互扶助の意が強かった。いずれにしても、家族や兄弟が少ない者が孤立しないようにはかる制度であった。
  「日本では契約制度が発達しなかった」と社会学者はおっしゃるが、そんなことはない。こうした盃事(さかずきごと)こそ、契約書にもまさる拘束力があったのだ。
  かつて流行(はや)った仁侠映画でも襲名盃や兄弟盃の場面がしばしば描かれていた。演歌でも歌われていた。それはとかくヤクザ社会での伝統ととらえられがちだが、それも違う。明治の頃までは、そうした擬制的な親子・兄弟関係が各地で機能していたのである。
  さて、三三九度とは、三つの盃をそれぞれ三口で飲み干す作法、と前にもふれた(第6回)。親子盃も兄弟盃もしかり。そこには、念には念を入れ、慎重に約束を固める意があるのだ。その時の酌の作法も、三度に分けて注ぐ。三は吉兆の数の象徴でもある。
  盃事の場合、酌人の役割が大事である。「一の盃をご自身の覚悟をもって三口で飲み干してください」「二の盃を先方のお気持ちを確認の意を示して飲み干してください」「三の盃を神明に誓って飲み干してください」というように、契約事項を読み上げるかのごとく、当事者双方に確かめながら酌をしなくてはならないのだ。
  酌人、つまり媒酌人である。仲人と混同もされるが、役割が別。契約儀礼の立会人であり、見届け人である。もっとも信用のある人が務めるのが常であった。
  盃事は、私的な儀礼ではない。それが成立した後は、関係者に披露を伴う、なかば公的な儀礼である。それだけに、とり仕切る媒酌人の力量が問われたのである。

 

『旅行読売2月1日号』 より掲載
文:神崎宣武氏 民俗学者
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