なが生きを望んだわけでもないのに、気が付いてみると、80才になっていた。昭和十一年に生まれ、戦争が終った時には小学校4年生であった。その後中学・高校へと進み、大学は、九州大学医学部であった。6年の修業のあと、医者になった私は、当時新設された愛媛大学医学部の生化学の助手としてふ任した。講義は、教科書は使わず、当時のトピックを生化学をまじえて説明するというものだった。学生たちは面くらったに違いないが、私はそんなことにはおかまいなく、講義を進めて行った。講義に教科書を使わないのだから学生達が分からなくなることは、あたり前である。私はもともと酒が大好きな体質に生まれていたように考えられる。小学生の頃、田んぼの中を一キロ以上歩いて学校へ向う日々であったが、おまつりなどの時小学生のくせに酒を飲んでは、田んぼのあぜ道に寝ころんでいたものである。もちろん田んぼには、毒へびなどが居ることはよく知られていたが、かまれることはなかった。田んぼの中なのにかまれることがなかっただけでも幸せである。もちろん、小学生に酒を飲ませるような大人達は居ないが、私は目をぬすんでは、酒を楽しんでいた。おまつりのドサクサにまぎれて酒を楽しむのである。飲みすぎて、あぜ道に寝ころぶのである。酒のよいが或る程度おさまると、立ち上り家へ帰るというわけである。このような酒大好き体質が大人になっても残っているというわけである。いや残っているというより、大人になって開花したという方が正確だと思われる。酒大好き体質がコップに日本酒を並々とつぎ、皆さんの要望にこたえて、乾杯をする様は圧かんである。さあコップに酒をみたし、乾杯しましょう。酒は入りましたか?さあ乾杯!!
(注 現在の法律では、20歳未満の者の飲酒は禁じられています。)
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