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小泉武夫氏小泉武夫(こいずみ たけお)氏
1943年福島県の酒造家に生まれる。現在、東京農業大学名誉教授、鹿児島大学客員教授、広島大学客員教授、琉球大学客員教授、石川県立大学客員教授、農水省政策研究所客員研究員等勤める。 農学博士。著書は『食と日本人の知恵』、『酒の話』、『発酵』、『日本酒ルネッサンス』、『食の世界遺産』など単著で119冊を数える。現在、日本経済新聞にエッセイ『食あれば楽あり』を18年にわたり連載中。江戸の酒と人間模様を描いた小説も書く作家でもある。趣味は江戸料理。

酒を聞く
 

 日本酒の良し悪しを官能鑑定することを「酒をきく」とか「きき酒」という。正式には、まず目で色の具合を見てから静かに香りを嗅ぎ、それからごく少量を口に含んで味を吟味して、それらの結果から酒の出来具合を総合的に判定する。したがって、きき酒という行為の本来の意味からすれば、「見る」「嗅(か)ぐ」「味わう」といった動詞が当てられてよさそうなものなのだが、なぜか「きく」という。
 ちなみに、通常国語辞典では「きき酒」の漢字表記として「聞(き)酒」または「利(き)酒」が用いられており、一般によく使われる「唎く」という字は漢和辞典にも載っていない当て字である。
 日本語の「きく」という言葉には多くの意味があり、この音を持つ漢字も「聞く」「聴く」「利く」「効く」などいろいろある。これらの漢字のうち「聞く」は、もともとは声や音に反応する耳の感覚を表す字だが、実は「においを嗅ぐ」という意味も持っている。
 たとえば、わが国には香を薫(た)いて楽しむ香道という芸道があるが、そこでは、香りを嗅ぐことを「聞香(ぶんこう)」という。聞香には、香りを嗅ぎ分ける遊びという意味もある。「においを嗅ぐ」という鼻の感覚を「聞く」という耳の感覚で表現することは古くから行なわれていたようで、謡曲の『弱法師(よろぼし)』には「や、梅の香が聞こえて候」という情緒ある台詞があるし、『今昔物語』にも「鼻にて聞けば」という表現が見られる。
 『広辞苑』によると、「聞く・聴く」には「(「利く」とも書く)物事をためし調べる」という意味もあり、その語義を細分すると、1嗅ぎ試みること、2味わい試みることなどに分けられる。そして、用例として古典から引用して、1では浄瑠璃『浦島』の一節「酒の香聞けば前後を忘るる」を、2では狂言(1)『伯母(おば)が酒』の一節「好い酒か悪しい酒か私が聞いて見ずばなりますまい程に、一つ聞かせて下されい」を挙げている。
 嗅ぎ試みることも味わい試みることも、いずれも「きき酒」の意味に通じていることから、「酒をきく」の「きく」は「聞く」から来たのではないかとする説がある。ただ、「酒を聞く」と書いたのではいかにも耳の感覚のようでしっくりとしない。一方、「利く」には「目が利く」とか「鼻が利く」といった言い回しがある。そこで、「利」に口偏をつけて、「口で以てきく」という当て字ができたのではないかとも考えられている。

 
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