〜日本文化のルネッサンスをめざす〜日本酒で乾杯推進会議
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小泉武夫氏小泉武夫(こいずみ たけお)氏
1943年福島県の酒造家に生まれる。現在、東京農業大学名誉教授、鹿児島大学客員教授、広島大学客員教授、琉球大学客員教授、石川県立大学客員教授、農水省政策研究所客員研究員等勤める。 農学博士。著書は『食と日本人の知恵』、『酒の話』、『発酵』、『日本酒ルネッサンス』、『食の世界遺産』など単著で119冊を数える。現在、日本経済新聞にエッセイ『食あれば楽あり』を18年にわたり連載中。江戸の酒と人間模様を描いた小説も書く作家でもある。趣味は江戸料理。

なぜ燗をするのか
 

 日本酒が、いつごろから今日のように燗をして飲まれるようになったのかに定説はないが、世界の酒飲法からみるときわめて珍しい部類に入る。
 平安時代の『延喜式』(内膳司)に「土熬鍋」とあるのは、酒を温めるために使われた小さな銅製の鍋であるとの見方から、その頃から熱い酒を飲んでいたことは確かである。当時はまだ鍋に入れて直火で温めていたようで、専門に燗をする徳利が現れたのはずっと後のことである。ただ、平安時代には燗徳利に似た「瓶子」があったことは『源平盛衰記』の「鹿ヶ谷の戦い」の条にでてくるので、この瓶子で燗をつけていたことも考えられる。
 徳利が出現してからの燗は、季節によって行われたらしく、『温故目録』や『三養雑記』には九月九日の重陽の節句(菊の節句)から翌年三月三日の桃の節句までの間、燗をしたことが記されているが、その当時は「燗酒」といわずに「煖酒」といった。燗という名は『天野政徳随筆集』によれば、「今の世酒を飲めるには必ず煖める事也、是れを燗と云へり、冷と熱との間なる故」とあり、『和訓栞』『三養雑記』にも同様の記述が見られる事から判断すると、「熱からずまた冷たからずその間の酒」から由来したのかもしれない。
 一年中燗をするようになったのは、瀬戸物の猪口や徳利がしきりに文献や絵、または実物としてでてくる江戸の中期で、たとえば『寛文見聞記』には、「予幼少の頃は金銚子塗盃に限る、何時の頃よりか銚子は染付け陶器となり、盃は猪口と変ず」とあり、また『守貞漫稿』にも「盃も近年は漆器を用ふる事稀にて陶器を専用とす、京坂も燗徳利は未だ専用せざれ共、磁盃は専ら行はるるなり」とみえる。
 ところで日本酒をなぜ温めて飲むようになったのかは、明らかでない。ただ、中国では、寒い時には温酒、夏には冷酒で飲んだことが多くの書に記されている。たとえば白楽天は「薬銚夜傾残酒暖」「林間暖酒焼紅葉」とうたい、また趙循道は「紅火炉温酒一盃」と詠み、そして元結も「焼芝為温酒」という有名な詩の一節で、晩秋から冬にかけて酒を温めて飲む情景を詠んでいる。
 白楽天の「小盞吹酷嘗冷酒」にみられるように、春から夏にかけては冷酒を飲んでいた。李賀が「不暖酒色上来遅」といっているように、おそらく寒いときにははやく体が暖まるように酒を温め、夏に熱い酒はさらに暑さをよぶから冷酒にしたという単純な理由からだろう。日本での暖酒もはじめはこのような理由から行われだしたものと思われる。
 日本酒を温める第二の理由は、東洋的な医学思想を背景にした自然な食法、たとえば『養生訓』などにみる教えも根底にあったのだろう。貝原益軒は次のように戒める。「およそ酒は冷たくして飲んではよくないし、熱くしすぎて飲んでもよくない。なまぬるい酒を飲むのがよい。冷たい酒は痰を集め、胃をそこなう。丹渓は酒は冷飲に宜しといったが、多く飲む人が冷酒を飲むと脾臓をこわす。少し飲む人も、冷酒を飲むと食気をとどこうらせる。およそ酒を飲むのはその温かい気をかりて、陽気を補助し、食のとどこおったのをめぐらすためである。冷酒を飲むとこの二つの利益がない。ぬる酒が陽を助け気をめぐらすのに及ばない」。すなわち冷酒は体によくないという考え方も、燗をする要因の一つになったのだろう。
 第三の理由は、客に対する温かいもてないしという心づかいから出た飲酒法であるということだ。燗をしてもてなすという習慣が一度出来上がると、「燗をした」という行為が、酒に手を加えてから客にさし上げるという礼儀として定着する。そうすると手を加えない冷酒を出すのは失礼であるという考えに結びつき、燗をする習慣が続いてきたのであろう。
 このほか、日本酒は麹を使った酒であり、冬造られたものが夏を越すと熟成して風格を増すところから、そういう酒を温めると、口当たりがまろやかでコクが乗るといった理由で燗を好んだ人もいたのだろう。さらに、燗をすると刺し身や酢のもの、煮魚など肴との相性が良くなるという人も少なくなかった。
 そして最後の理由は、飲む速さと酔いの速さを調整するためでもあったのではないか。「冷や酒との親の意見は後から効く」の譬の如く、冷酒は喉ごしがよいからどんどん入っていって、後から急に酔いが来ることが多く、悪酔いの原因にもつながるが、熱い酒であると、味も香りもアルコール分もとても強く感じるので、チビリチビリとやることによって、酔い加減にバランスがとれるからである。
 ところで最近は、燗にこだわる人が少なくなってきた。冷蔵庫の普及で日本酒を冷やして飲むことが長く続き、これまでの習慣にとらわれずに日本酒とつきあう人が増えてきたためである。かつて日本酒には、「燗上り」のする酒(燗をすることにより酒が良く感じられる)と、「燗下がり」のする酒(燗をすることにより酒が不味に感じられる)とがあるといわれていたが、今日のように高い精米歩合と低温発酵で造った酒は、燗の有無にかかわらず常に安定した香味を発揮できるので、従来のようにそう燗にこだわる必要はない。むしろ吟醸酒のように上品な味と高い芳香を持った酒は、冷やしてすばらしい酒なのである。冷でも燗でも、好みによって自由に日本酒とつき合って、そのすばらしさにふれてほしいものである。

 
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