100人委員会コラム
日本酒で乾杯!
山本祥一朗(やまもと しょういちろう)氏
1935年岡山生まれ。'68年の処女作以来、世界の酒どころの大半を取材し著作に残してきたが、当人は「いろんな意味で日本が最高」とのこと。
坂口謹一郎氏のこと
「東京地酒物語」のシーン。
上から東京局入口、中は日本酒度計で点検する蓼沼誠氏、下は川嶋宏氏にインタビュー
かつてNHKの早朝の15分間、「カメラリポート」や「テレビロータリー」などという社会探訪番組があった。これに昭和40年代の終りから50年代の始めにかけてリポーターとしてよくお付合いしていた。そんな中で酒がテーマだったのが「東京地酒物語」で、この時は東京国税局が「やわくち」の研究開発をやっていたこともあって、それを取材した。
その「やわくち」の完成発表のパーティーに招かれて行ったところ、坂口謹一郎氏から「この間のテレビよかったよ」と声をかけられた。その時が坂口氏とは初対面だったが、「お元気なコツは何ですか?」とお訊きしたところ「これ、これ!」といって酒のグラスを持上げられた笑顔が何とも印象的だった。
氏は若い頃は病弱で、医師からは酒をとめられていたという。ところが仕事で台湾へ赴任して酒を嗜みはじめてから、次第に健康になられたとか。
1986年に出た氏の「愛酒楽酔」(TBSブリタニカ)は3000部限定本のNo.402を頂いている。これは氏の詠まれた短歌を織り混ぜながら綴られたエッセイ集で、なかなか読みごたえがある。その中に「日本酒のよいものを西洋人に飲ませると、『これが穀物で醸造した酒か』と愕かれることが多くなった」とある。
そんなエピソードの一つにドイツのラインガウにある名門のシュロス・フォルラーツのオーナーが、自分のグラウス・ハウスというレストランで、坂口氏が贈った日本酒を味わって素晴らしさを称えたことが述べられている。
私はたまたま、そのグラウス・ハウスを二度訪ねている。数年の間隔を置いて行ったのだが、行く度に日本酒を持参した。それというのもこのレストランの料理が、日本酒に心ニクイほど合うのである。日本での噂によれば、このレストランでは隠し味としてソイソース(醤油)を使っているときいていたが、料理長の話では、それは使っていないという。それにしてもまるで醤油を使っていてもおかしくないほどの和風仕立てなのだ。
近頃になって「和食を世界の文化遺産に!」という声も湧き上っているようである。和食がそうなら当然、日本酒もクローズアップされよう。このようなご時世、坂口氏がご存命なら、どんな感想を述べられるだろうか。
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